吹奏楽コンクールについては様々な思いを持つ人もいたり考え方があったりします。
どの考え方も「間違っていない」と私は思っています。
25年以上の吹奏楽の経験の中で、中学1年生の時から吹奏楽コンクールには出ていました。
アンサンブルコンテストにも中学1年生の時から6年間、出させていただきました。
全国大会出場の経験もさせていただきました。
音楽大学に進学してからは、大学在学中から吹奏楽コンクールを目指す生徒を教えることも多くなり、今も関わらせていただいています。
色々な角度から「吹奏楽コンクール」を見てきた中で感じたこと、経験したことを書いていきます!
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吹奏楽コンクールは日本の吹奏楽を発展させた
日本の吹奏楽は吹奏楽連盟が主催する「吹奏楽コンクール」に支えられていると言っても過言ではないと思います。
この吹奏楽コンクールが大きな物となり、音楽が「競争」になったから吹奏楽というものが大きく発展してきたと思っています。
ですが、それにより様々な疑問や思いが生まれてくることもまた事実。
音楽のコンクールは吹奏楽以外でも、ピアノのコンクールもいっぱいありますね。
管楽器のコンクールも、弦楽器のコンクールもあります。
それぞれのコンクールもまた、それぞれの楽器や音楽の発展に大きく影響を与えていることも事実です。
全てのコンクールに審査員がいますね。
審査員は「人」です。
人が審査する、ということは「情」だったり「好み」が出てきます。
これは仕方のないことだと思います。
吹奏楽コンクールの審査は「人」がやっている
人が審査する限り金賞を目指しても全国大会を目指しても、「相手次第」になってしまいますね。
そこで、「コンクール対策」のような方法もあると思います。
吹奏楽コンクールなら、楽器の並び方を一般的にする、そうでないと「おかしい」と言われてしまったり、見た目ででもコントラバスが無かったり、オーボエが無かったりするだけですでに減点対象となったり。
そんなもんなのです(笑)
そして、全国大会常連校さんには「あ、常連だから」という先入観が審査員にあるので必然的に良い点数には必ずなります。
「上手い」と思っているからしっかり聴いてもらえたり、または、「上手い」と思っているからしっかり聴かずして点数を出している?ようなことも。
この逆もあります。
人間ですから、しょうがないですね。
「この音色は好みじゃない」「この音楽のやり方、歌い方は”違う”」「こっちの方が好き」「それはおかしいでしょ!」
と感じることもあるでしょう。
だから点数が”審査員1人1人で全く違う結果になる”のですね。
審査員の人が、吹奏楽コンクール意外でも少しでも関わったことがある吹奏楽部なら、それは知らない吹奏楽部よりもちょっとでも「良いように」聴いてしまうこともあると思います。
審査員と知り合っていることは点数上げることに繋がりますね。
自分だったら、そうだと思います。
自分が教えたり少しでもかかわりがある先生だったりしたら悪い点数、評価は出ないと思います。
だって、「知り合い」ですからね(笑)
感情や個人的な思い込みが審査に反映されるのです。
吹奏楽コンクールは公正な審査?
「私情」が挟まなければ、今考えられる審査方法としては公正な審査だと思います。
どうしても人が審査”しなければいけない”ようになっているので、吹奏楽コンクールだけでなく、音楽のコンクールというのは「公正な」というのは説明が難しいでしょう。
審査員は朝から1日かけて、何時間も色々な音楽を聴きます。疲れないわけないですよね?
聴きながら講評も書かなければいけません。
大変ですね・・・
最初から最後まで同じ「状態」で聴くことは不可能ですね。
人間がやる以上しょうがないことです。
全ての大会、同じ場所で同じ人が審査もできません。
同じ人が同じ場所で日本全国の吹奏楽を聴いて判断するのが公平に近くなるかな?と思います。
現実的ではないので、ここもしょうがないです。
吹奏楽に少しでもかかわりある人が審査をしていることが多いです。
作曲家の人もいます。
自分の曲が演奏されたら、嬉しいと思ったり、「そこちがうよ!」と思ったりもします。
これは公平ではないですよね?
楽器奏者も自分が教えたりかかわりがある学校だったりすると、「私情」が入ります。
しょうがないことですが、公平ではないですよね?
審査員と関わりがあるか無いか、調べてまで審査してもらえる環境を整えることは難しいでしょう。
このようなことをしても「ウソ」があるかもしれませんからね!
自分ではない他人が聴いて判断している以上、完全な公正な審査というのは難しいと思います。
私の体験談
他人の感情や感じることはコントロールできないのでどうしようもないですが、「それ、学校の吹奏楽コンクールで審査対象にすること!?」ということがありますので紹介します。
私が高校生の時の吹奏楽コンクールでの経験です。
東京都吹奏楽コンクールの「予選」です。
ここで金賞を取り、この日の上位2校が東京都大会へ選ばれるという時代だったのですが、毎年ほぼ都大会へは行っていて、自分自身も演奏が終わり、「この演奏なら大丈夫だ」と、関係者も思っていた演奏をしました。
結果は「金賞」でしたが、都大会へは推薦されず。
「なぜ?」という思いと、色々な思いがめぐり、結果発表後すぐに号泣しました。
「自分のせいだ」
なぜかその時そんな思いになってしまいました・・・
数日後に聞かされた衝撃の真実。
1人の審査員が指揮者の振り方が気に入らない、というような理由で点数が最低点の、課題曲自由曲共に「60点」。
今もそうだと思いますが、吹奏楽コンクールの最低点は60点となっています。なんででしょうね(笑)
また、現在は審査員の最高点と最低点、上下カットをして他を足しての点数で決まっていますが、当時は上下カットが無い時代でした。
他の審査員の方でこの日の最高点を書いている人が数名いたため金賞を取ることはできました。
音楽の審査していないの?俺らの音や演奏の評価は??
この審査員は他の学校にも同じことをしていたようです。なので、私の学校以外でもこの年、とても上手だった学校が都大会には出られませんでした。
このようなことが現実にあるのです。
きっと、今もそのようなことがあるのではないかと思っています。
思ってしまうのです・・・自分が体験してしまったから。
吹奏楽コンクールに求めるもの
他の学校さんでも、全国大会にほぼ行っている学校と予選での点数が同じで2位となった時、上位2校に選ばれたのは全国大会に出ている学校。
審査員の「話し合い」によって選ばれたようです。この学校さんも都大会は常連でした。
どんな話し合いがされたのでしょう?
その先の伸び代?期待値?全国に出ているからというだけの理由?
ここは明確にしてほしいですよね。
このように、何が原因になり審査されるかわからないのが「吹奏楽コンクール」なのです。
私は予選を通過できなかった時に自分を責めました。
でも、自分のせいではなかったけど、なんのコンクールなんだ?と疑問がずっと残っています。
そんな人を増やしたくない。
吹奏楽コンクールは嫌いではありません。好きでもありません。
最初にもお話しましたが、日本の吹奏楽は吹奏楽コンクールがあるから大きく発展しました。
今までは「競争」社会だったと思います。
競争を嫌う音楽家は多いですが、競争があるから上手になることも事実。
「勝ち負け」がわかりやすいですからね。
でも、「勝ち負け」にフォーカスしすぎた結果が今の日本の吹奏楽の形になってきているのでは?と感じることは多いです。
そろそろ、何か違う形の「吹奏楽コンクール」を考えないと、衰退していくと思っています。
音楽業界自体が衰退しているので、吹奏楽だけが上向きなわけがありません。
クラシック業界が特に衰退が激しいので、吹奏楽もどんどん衰退していきます。
参加者も吹奏楽コンクールには吹奏楽コンクールの意味をしっかりと持たないといけませんが。
私は吹奏楽コンクールに反対も賛成もしません。
「音楽」で人生が豊かになり、平和な世界になってほしい。
まとめ
吹奏楽コンクールに囚われて、結果が出なかった時にひどく自分を責めたりし、音楽を、楽器を続けないという人が増えてしまうことは、吹奏楽の衰退に繋がります。
色々な原因がありますが、特に吹奏楽部として、部活動で吹奏楽コンクールに出場する先生方には特に考えてほしいところです。
出場しない、という選択もありです。
出場しても、結果ばかり気にしたり、他の演奏会と全く違うことをやりすぎたりすることは、人間性向上を目的としていないことになってしまうのではないか?と思っています。
「承認欲求を満たすために吹奏楽をやっていますか?」
「自分はどんな音楽をやりたいか?自分にウソつかずにできたか?」
「音楽も人生も競争じゃない!」
人のためになる吹奏楽コンクール、考えたらおもしろいかもしれないですね!